求めているものは、もう、すでに全ての人の目の前にあって、探し求めるものではない。
むしろ、探し出す行為は真実を覆い隠すだけの障害でしかない。
そう言われると、探求好きの人たちは煙に巻かれたような、不安な気持ちにすらなる。
だって、もう何年も何年も、何かしらの集団や指導者や書籍が言うところの、考えうるだけの、あらゆる方法をためしているのに、まだ見つかっていない。
何か神秘的な力で覆い隠されていて、限られた、選ばれた人たちでなければたどり着けないのではないか?
私にはその資格がないのではないか?
あるいは、本当に大事なところは、まだ、特別な秘密として隠されているのではないか。
あるいは、私のやり方が間違っていて、あるいは、私の努力が足りないのであって、とか。
ひょっとして、生きている間にたどり着くことが出来ないかもしれない。。
そうではなくて、言葉のまま、そのまま、「今ここにあるもの」が全てであって、それ以外のことでは全くない。
大切なことは、そのことについて、それ以上でも以下でもなく、他の意味を付けくわえたり、減らしたりすることもなく、そのまま受け入れるということ。
いま、まさに目の前にあるものだけが全てである、ということを素直に理解し、受け入れること。
意味を付けくわえたり「しないでおこう」、減らしたり「しないでおこう」という動きも必要ない。
まず、必要なものは理解することだけであって、あらゆる努力や行為は全ていらない。
ただ、そこに気付くまで動いてしまうのはしょうがない。
理解が生まれた瞬間から、行為はなく、動きというものもなくなる。
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