TVゲームの画面スクロール

思考

ここからあそこまで歩いて移動する。

周りの風景が変わっていく。

移動したから、視点が変わったから、こっちから見るのと、あっちから見るのとでは異なって見える。

動いたのは私。

外にある風景の位置情報は不変で、さっきまでも、いままでも、ずっとそこにあって動かない。

見ている私が動いたから、見える風景も変わる。

ここから見たり、あそこから見たりしているから。

また、見る側、見られる側は相対関係であって、どちらかが主体になると、一方は客体になる。

風景から見ると、風景は動かないから、まわりの景色は変わらない。

ただ、風景の中にある、動けるものは動き、絶えず変化している。

見える景色は全く同じではない。

風景は動かなくても周りが動くから。

さっきまで、そこにいた私が、今の風景ではあそこにいる。

全く同じことがらでも、主体と客体に分かれれば、異なったことがらに見える。

もう一つ、私はそのまま、風景のようになったとする。

全ては思考の産物、脳内で起こっている認識作用だけだとする。

たとえば、認識の主体となる脳はずっと同じ頭蓋の中にあって、位置情報も不変、どこにも移動しない。

今まで私は頭蓋から出たことはない。

体は認識の対象で私(脳)ではないとする。

すると、認識の世界に現れるあらゆることがらが変化しているのであって、私はずっと頭蓋の中に不変でいる。

私の体が移動したから景色が変わるのではなくて、体ごと、景色の方が動いて、変化している。

この世界を映し出す鏡の様なもの。

私はどこにも動いておらず、世界の方が常に動いて、変化している。

TVゲームの画面スクロールみたいに。