正しい思い、悪い思い

悟り(PNSE、継続的非記号体験)

不満があるとき、嫌なことがあるとき、根本的な原因から目を逸らす。

無意識に逃避している。

悟りは、そのような悩みや苦しみ、煩わしから解放してくれると思う。

その思いが逃避では?

あるいは、不満がなかったとしても、悟りという極みに達したい、という思い。

目的が崇高ならば、正しい欲なのか。

正しそうな私を隠れ蓑に、都合の悪いことにはフタをする。

私は正しいことをしている、正しい道を歩んでいる、これが私が生まれてきた理由だとか。

私自身を「見る」ということは、なかなかむずかしい。

見たくないから。

基本的に、みな、私に非はない、あるのは他人、あるいは外の世界となる。

ただ、私を悲観したり、出来ていない原因を私に求めるのも同じ。

悪いのは私だ、と言っても、なぜ私が悪いのか。

あるべき私があって、うまくやれない私を作り出す。

理想の私があって、「そこ」を基準に私は出来ていないと嘆く。

なぜ「そこ」を作るのか。

理想を作り出して、距離を置いて見ているだけ。

向かって見るか、引いて見るか、あるいは、上に見るか、下に見るか、の違いに過ぎない。

同じこと。