空であるはずなのにこの世はいろいろなモノで溢れているように見えるのはなぜか?②

悟り(PNSE、継続的非記号体験)

思考を外から眺める、とは、思考がただ「ある」と認識するということ。

思考はただの反応であって、何かを認識する主体ではない。

例えば、りんごがある、鳥のさえずりが聞こえる、と同じ様に、何か考えが浮かんだら、思考があると認識する。

認識とは、ただ「ある」ということの理解、「ある」ということの実感のこと。

物理的、精神的、双方にかかわる、ただ「ある」ということだけにフォーカスした直接的な認識。

全てのモノゴトはただ「ある」だけ、それに対してただ「ある」という認識だけがある。

認識しているものは思考ではない。

私は思考ではない。

思考は既に、(あると)認識される側に、この世界に溢れているモノゴトと同列のものに成り下がってしまっている。

個別の私(思考)は既に消えてしまっているが、まだ、認識するもの(観察者)、観察されるもの(この世界)の二つが残っている。

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