触覚はどこで感じているか?

思考

例えば右手で体のどこか(例えば右の太もも)を触ってみる。

右手で太ももを触っている感触がある。

意外と触覚というのは曖昧で、視覚や記憶などの他の感覚に負うところが多い。

目を瞑ってみる。

感覚が残っているが、右手で触っている感覚か、太ももが触られている感覚か、区別がつくでしょうか?

次に、「右手で太ももを触っている」という記憶(事実)をいったん忘れる(先入観は全てなくす!)。

触っているのか、触られているのか、良く分からないが、何やら感覚は残っている。

ところで、この感覚はどこにあるか?

そもそも、手や足に触覚(神経)は存在するが、感覚は手や足で感じるものではない。

手や足から伝わった電気信号が脳に達し、視覚や記憶(事実)をもとに、「この触覚は手や足で感じている」と思考が意味づけしている。

意味付けがなかったら、ただ、純粋にこの感覚はどこにあるか分るでしょうか?

感じている人や場所はなく、ただ、感触だけが「ただ在る」だけ。

幻肢痛などは、このような思考(脳)の働きによる

RSS note | カレン

  • 瞑想難民と思考停止についての考察 2019年8月19日
    瞑想難民と言う言葉をツイッターをやり始めて知った。どういうものか、誰の言か、未だ良く分かっていないのだけれど、 […]
  • 悟りとは(PNSE、継続的非記号体験) 2019年8月18日
    悟り(PNSE、継続的非記号体験)とは自身の本質が明らかになること。以下の様な自覚が現れます。続きをみる
  • プロフィール 2019年8月18日
    カレンについての自己紹介です。子供のころ続きをみる
  • 蟻に知性(魂)はあるか 2019年8月17日
    単純な反応が組み合わさるだけで、全体として一つの(意思ある)生命の様に見えることがある。魚のベイド・ボール(W […]
  • noteをはじめてみる 2019年8月17日
    ブログと並行してちょっとチャレンジ。ツイートでは足らず、ブログまでいかない様な、ちょうど良い感じで使えるかも。 […]