どんな座標のどこに点(私)を置くかで見方が変わる

思考

この身体を含めて私と言うとき、私はこの三次元空間の中を動き回る点みたいなもの。

「ここ」から「あそこ」まで歩いてゆけば、動いたのは私の方で、空間の方は変わらない(動かない)。

動いた私の方の座標が変わり、視点も変わり、見える景色も変わる。

視点を変えて、私は単なる観測者だとする。

この身体や心の動き、あらゆるものの移り行く様を、ただ只管に感じているだけ(この身体も!)。

何やら手足が動いていてる様子が見えるだけで、景色もただ只管に変化しているだけ。

手足の見える位置はあまり変わらず、あいも変わらず数センチ先を前後に行ったり来たりしている。

手足が動く回数が増すほど、周りの景色も(景色の方が)どんどん変わってゆく(ゲームのスクロールみたいに)。

全てが観測の対象で、私はずっとここに動かずいる。

生まれてからずっと。

実はずっと「ここ」にいて、どこにも動いていない。

変わっていたのは、いつも周りの方で、いつも何やら現れては消えてゆく。

生まれて初めてものを見たときも、「ここ」から見ていたし、たった今も「ここ」から見ている。

お風呂に入れば浴室が現れるし、寝ようとすれば寝室が現れているのが見える。

死ぬ時も「ここ」にいて、「ここ」で死ぬ。

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