夢の中の私はいつもの私と全然違っても「この私」と感じるのはなぜか

思考

私は私の知識や経験などの記憶(情報)から成っている。

夢の中では、参照できる記憶(情報)の範囲がかなり限定される。

覚醒しているとき「私の定義」と紐づけられている、いつもの記憶(情報)へアクセス出来なくなったりしている。

すると、限定された記憶(情報)の範囲内でモノゴトの関係性を理解しようとする。

また、記憶(情報)同士の関係性の紐づけも、誤っていたりするため、かなり面白いことになったりする。

※性別が違っていたり、年齢が違っていたり、家族や友人が違っていたり

ただ、「私は~である」という認識作用は働いているため(働いている時に夢を見る)、私は(いつもと違っていても)存在していると感じる。

起きたとき、いつもの記憶(情報)を参照できるようになる。

夢を覚えていれば、夢の中での出来事や記憶(情報)同士の関係性を整理し直し、「あぁ、あれは夢(の中の私)だった」と意味づけする。

夢のなかの私

2018.05.23

自我なんて幻想に過ぎないとはどういうことか

2018.10.08
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