実在が概念に置き換わった瞬間、精神は思考の枠内に捉われる

思考

この世に存在する、あらゆるモノゴトには、初めから意味や名前が付いていると思っている。

私が生まれる前からリンゴはリンゴと呼ばれているし、もともと、初めから、そのような名前が(リンゴの)実在とセットで存在していたかの様に感じている。

が、リンゴそのものが何と呼ばれようが(appleとか)、リンゴはリンゴとして、名前と関係なく、あるがままに存在している。

思考が扱いやすい様に、勝手に「りんご」という名前(や意味)を、後付けで付け加えている。

その瞬間、実在としてのリンゴは概念としてリンゴになってしまうのであって、「リンゴ(真実)とは何か?」と思い始めた瞬間、既に思考の枠内に捉われている。

※今を意識した瞬間、今は過ぎ去っていることと同じ

言葉で扱えるものは、思考の枠内なのであって、リンゴ(真実)そのものは、それ(思考)とは全く関係ないところで、そのものとして在るだけ。

私が何を思おうと、いろいろな意味を後付けしようと、そんなものとは全く関係なく、リンゴ(真実)そのものとして、全くの手つかずの状態で、絶えず、いつも変わらず、ただ在るだけ。