対象の反対側に私(意識)が立つが、対象が他人だと私(意識)が分裂する

人間関係

モノ(対象)を見ているとき、その反対側にはそれを見ている私(意識)が立つ。

私がそれを見ている。

それを見ている私が生じている。

ただ見ているとき、私(意識)は生じていない。

対象がモノであれば、特に気に留めることなく、それ見ている私(意識)が観察されるだけ。

対象が他人になると、私(意識)の他に、何やら他人(の意識)のようなものを感じる。

私の意識ではないが、私と同じような意識を、その人も持っているように感じる。

ところで、ここで感じる他人の意識は、決してその他人の意識そのものではない。

私と同じ様に、あの人も感じているだろうと、勝手に私が思い込んでいるだけ。

私が作り出している、他人の意識の振りをした、私の意識に他ならない。

私の意識の一部を、その人(他人)の意識として、扱っているだけ。

他人の意識(そのもの)ではなく、私の意識が作り出した幻想に過ぎない。

※夢の中にも意識を持った(様に見える)他人が出てくるが、夢の中の他人(の意識)は正に私が夢の中で作り出している(私の意識の一部)

夢の中の他人

2018.05.25

他人の気持ちが気になる人は、繊細な心の持ち主であったり、心の機微に敏感な方が少なくない。

心の動きが良く見えてしまうため、私の心も、他人の心も、実体を伴って存在している様に感じてしまう。

私のこころ(意識)なのに、分裂して、何故か(私の一部のはずなのに)気を使い過ぎて消耗してしまう。

ただ、そういう心の持ち主の方が、思考の仕組みに気付きやすいとも言える。

究極的には、他人も含め、あらゆるものは単なる表象に過ぎない。

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