自我はない(無我)というが、どう考えたってあるとしか思えないのはなぜか?

思考

私と言う自我が生じてから、同じ私(自我)がずっと継続していると感じる。

一方で自我なんて幻想だと言う人もいる。

両者の意見や考え方が食い違っているように感じることが良くある。

非対称のモノを違う角度から見れば、同じものでも違った形に見える。

見た目が異なっていても「同じものを見ている」と感じる(一枚悟りではここら辺の勘所が分る)。

※別の角度からはこう見えるだろう、という記憶(知識)を参照しながら見ているから、「同じもの」と(思考が)認識している。

元の話に戻って、実際はどうかと言うと、私(自我)はあるが、考え方によって無いとも言えるだけ。

こっちから見たら”〇”に見えるが、あっちからは”△”に見える、本当の形はどっちかと言っている。

ずっと同じ私(自我)が継続している、と言った場合、記憶(知識)を参照している。

今までの経験の記憶や知識を、(思考が)時系列に並べ直して、連綿と続いているかの様なイメージを与えている。

その様な場合、「私(自我)は継続している」と感じる(”〇”に見える)。

一方で、私(自我)は記憶(知識)を参照する都度、(いつも新しい私が)生じている。

とすると、(今)あるのは経験(知識)としての情報だけで(時間なんてない)、私(自我)はない(幻想だ)と感じる(”△”に見える)。

どちらが本質かという話ではなく、意見が食い違うのは、お互いが思考の範囲内で論じているから。

自我なんて幻想に過ぎないとはどういうことか

2018年10月8日