思考はなぜ、どこから生じてくるのか

思考

気が付くと思考している。

どこから生じるのか、なぜ生じるのか、理由はよく分からないけれど。

注意深く観察してみる。

何もないところから、無から有が生じる様に感じる。

が、そんなことは全くない。

リンゴが木から落ちる様に、木の葉が風に戦ぐ様に、同じ理由でただ生じている。

あらゆるモノゴトは、同じ法によって、完璧に、秩序だって、形を変えながら、ただ只管に在り続けているだけ。

リンゴは重力があるから下に落ちる。

木の葉は風が吹いたから。

思考は「生きているから」生じる。

リンゴが落下するという現象、木の葉が風に戦ぐという現象、私が思考するという現象。

重力があって、風があって、生という活動がある。

私たちは意識しても、しなくても、ただ生きているだけで、何かしらの活動をしている(呼吸、心臓の鼓動)。

あらゆることを経験し、同時にいろんなことを記憶しながらいきている。

この両者(経験と記憶)が絡み合い、絶えず何かしらの反応が生じる。

この反応が、いくつもの要因となって、折り重なって、思考(私)という概念を創発的に生み出している(風が吹く)。

もう少し具体的に言うと、呼吸や心臓の鼓動、食べ物の消化など、これらの生命活動がただ行われているだけで、意識、無意識にその活動が刻まれる。

活動が刻まれた瞬間、動きを捉えた瞬間、時間を創造する。

あわせて、これらの活動が起点となり、次々と新たな反応を生み出してゆく。

一呼吸だけでも、鼓動を一つ打つだけでも、必ず何かしらの反応を生じさせる。

※概日リズム、体内時計

ほんの些細な出来事でさえも(絶えず賽は投げ続けられている)。

あとはドミノ倒しのように、きっかけが何だったのかすら最早分からず、どこからともなく思考が湧いたかのような錯覚に陥り、かつ、後付けで理解しようとする。