なぜ世界から隔離されているという疎外感が生じたり悩んだりするのか

思考

私を対象と切り分けることで、この世界から隔離されていると感じる。

知恵の実を食べたことで、善悪の知識(二元的な思考能力)を得たことで、私は不安や孤独を感じる。

一方で、他について考えたり、形を変えたり、主体的(能動的)に働きかけることが出来る。

メリットもデメリットもあって、結局はどう扱うか。

思考にとって、あらゆる事柄は二元的で、一方に偏ってしまうと様々な不調が生じる。

どちらでもなく、ニュートラルな状態を保てば良いのか、と言えばそうでもない。

ニュートラルとそうではない(極端な)状態があるから(極端に振れると不調を感じる)。

一方を選択すれば、もう一方には必ず対立する概念が生じる。

思考とは、あらゆるモノゴトを分断する作用であって、それ自体に良い悪いはない。

分断し、こっちは好き、こっちは嫌い、と一方に重みを付ける(選択する)。

重みを付ける(選択する)こと自体にも良し悪しはないが、バランスは変わる。

マイナスの方向へ偏り過ぎると精神がすり減るし、閾値を超えると修正が難しい。

そうならないために、なぜその様な状態に陥ってしまうのか、きちんとその原因と向き合って理由を理解する。

理由が分かったら、抜け出せない理由(抜け出す方法)も考えることが出来る。

原因は必ず、外側ではなく、内側にある。

全ては私の内側で生じていることだから。

だから内観というか、自己(思考)についての理解が重要になる。

そして原因の大半は、「こうしたい(こうなりたい)」という欲求や、「受け入れられない」という非寛容な態度にある。

ただ、欲求を全く持たなかったり、全てに対し寛容になれば良い、ということではない(ニュートラルでもだめな様に)。

そのような欲求や態度は、そもそも思考の(選択するという)機能に過ぎない。

問題は原因を解決できないということよりも、一方の選択に捉われ過ぎてしまうことにある。

「こうあらねばならない」、「こうしなければならない」とか、「こんなことを考えてはいけない」、「望んではいけない」など、自らに足かせを付ける様な行為は、思考を偏った方向に陥らせる。

誤った常識や偏見に捉われ、思考停止に陥り、推進力を失ってしまう。

結構な重力でそこ(悩み)から抜け出せなくなってしまう。