意識が受動的であるなら能動的な選択や主体的に生きるとはどういうことか②

思考

意識が受動的であるなら、能動(主体)的な私とは何か。

私(思考)は、何処からともなく、気まぐれで生じてくる様に感じる。

なのに以前からずっと存在していて、主体的にモノゴトをコントロールしている様に感じる。

「今日の私」は「昨日の私」と同じで、明日以降もずっと「同じ私」が続くと思っている。

私という概念は、知識や経験などの記憶と外部の刺激が反応することで生じる。

都度、新しい私が生じているだけなのに、継続した私があると思い込んでしまう。

例えば、同じ湧き水に見えても、中身(の水)は絶えず入れ替わっている。

思考は中身が違っても、同じ仕組み(機能)や構造を保っているものを同じものと認識する。

私は、中身(の思考)が全く異なっていても、同じ私と認識する。

※思考は常に同じ構造を保っている

そして、「過去の私(の記憶)」を参照する度、「今の私」と「同じ私」と紐づけすることで、同じ私が継続している、と認識する。

何故、そうするのか。

何故、私は継続していると認識する必要があるのか。

他の動物はそうしていない様に見える。

※ちなみに理由は、その方が高度な認知活動を行うことが出来るから(高度な思考を行うことで生存率が上がるから)

まずは、私の中身(記憶)について。

動物でも記憶はできる。

犬や猫もいろいろなことを記憶するし、霊長類なら更に多くのことを記憶できる。

でも、人間の様な自我は生じていない。

人間と動物を区別しているものは何か。

※動物にも自我はあると思うので、自我という視点で区別するのはちょっと違和感ありますが

答えは単純で、記憶の仕方(種類)が異なる。

動物でも、これは食べ物、あれは毒(だから食べれない)、森には食べ物がある、などの記憶は出来る(意味記憶)。

人間は、意味記憶に加えて、自らの行為を、自らの経験として、私に紐づけて記憶(認識)できる(エピソード記憶)。

動物はこれが出来ないか、或いは著しく限定的であるがため、場当たり的な行動しかしていない様に見える。

私は、日々の選択や、選択しなかった選択肢についても記憶している。

一方で、今この瞬間、実際に選択され、実行される行為(の結果)は一つだけ。

※右手を上げるか、左手を上げるか

そして、そのたった一つの行為(の結果)が、「私の経験」として、行為者である私に紐づけられる。

「私の記憶(個性)」として積み上げられる(入学、就職、結婚、肩書など)。

※「なぜ私はこの私なのか」、「なぜ世界はないのではなくあるのか」はこの理由による(それ以外なりようがないから)。

この、私に紐づけられた記憶(エピソード記憶)こそが、私を私たらしめている所以であって、かつ、想起する度、私(自我)を継続させている。

この一連の記憶の繋がりや関係性が、経験の主体である「私」に紐づけられ、実体を伴った存在(自我や個性)が、その様な行為を(主体的に)したと、結果として、後付けで意味づけられる。

「私がした行為」ではなく「この行為をしたのは私」の積み上げ。

行為が先、行為した主体を思考が私に紐づけるのが後。

自由意志すら存在しない。

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