あるがままに見れない、モノゴトを思考で取り扱ってしまうとはどういうことか

思考

あるがままに見れないということは、思考を介して見ているということ。

思考を介すということは、意味を読み取っているということ。

思考を介さず見るとはどういうことか?

そもそも、モノゴトから意味を読み取ってしまうのはなぜか?

意味を読み取ってしまう、ということは、「もともと」対象に意味が備わっていると思っているから。

私がそれを読み取って、取り出して、理解していると思っている。

リンゴであれば、「赤い」とか「食べ物」とか、私がそう定義(意識)するまでもなく、私がいなくても、リンゴはそのようなもの、という思い込いがある。

他人もそう認識しているだろうと、共通の認識、暗黙の了解、普遍的な意味というものがある思っている。

ただ、良く考えてみるとそんなものは存在しない。

リンゴは確かに「在る」が、リンゴのイメージは、私が一方的に付け加えているだけ。

そもそも順番が逆になっている。

私が勝手に、後付けで、付け加えているだけなのに、対象を見た瞬間、そこに備わっている(と思っている)意味を、読み取ってしまった、と言って「あるがまま」に見ていないと感じてしまう。

読み取らないようにするのではなくて、付け加えない。

というか、私が付け加える以前に、既にそのように在るということを理解する(あるがまま)。

そこの認識が違うと、捉えることが出来ないものを、捉えようとして、真実に到達しようとしても、いつも半歩遅れているような、不可能なことをやっているよう様な感じがする。