私がなんとかしなければと、と考えがち。
うまく行かなかった時も、私に問題があると考えてしまう。
「やるべきこと」や「義務」ばかりが増えてゆく。
思考は絶えず、心配事で満たされてしまう。
意識していても、していなくても。
「しないようにする」ことも、意識することだから。
それについて思考し、結果、悩みを深くしてしまう。
もがけばもがくほど、どんどん網に絡まってしまう。
なぜ、私がやらなければならないのか、私でなければならないのか。
そこはあまり考えることはない。
他の人の方がもっと上手に、早く、出来るかもしれない。
本当はお願いしたいのだけれど、お願いしずらくて、つい私が引き受けてしまっているのかも知れない。
「やるべきこと」や「義務」は、絶えず、何をしていても、「こころ」のどこかに蟠りを生じさせる。
自分でも気付いていないことも多い。
集中力も欠き、「今ここ」とはかけ離れ、精神は浮遊してしまう。
ミスも増え、更に悪循環に陥ってしまう。
また周りに迷惑をかけてしまったと、自己嫌悪に陥ったりしてしまう。
自分では如何ともしがたく、文字通り、神仏にもすがりたい気持ちになる。
ただ、そうすると、そもそものスタート(前提)が、何かから解放されたい、逃れたい、という目的ありきとなってしまう。
どうしても、そのような欲求が、巧妙に、絶えず形を変えながら、気付かれないように、私のこころの奥底にひっかかっているものだから、どうしても腹落ちしない。
目的に向かっている(と感じる)とき、(実際はどうあれ)進んでいると錯覚しがちであるから、ことを更に複雑にする。
本当の原因を尚更に見えづらくする。
一番大事なことは、ただ、只管に自己と向き合うこと。
そうしたい、そうなりたい、と思っている、本当の原因(動機)を明らかにすること。
見たくないこと、フタをしておきたいこと、とも向き合う必要がある。
向かってゆく過程自体を楽しみたいだけなのであれば、そうすれば良いだけ。
そうではないのなら。
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