興味や関心の向き先は人や状況によって様々

悟り(PNSE、継続的非記号体験)

注意の向く先が内か外か、と言えば、知識や経験の多寡による。

子供の頃は外に向かって注意を向けやすい(内が乏しいから)。

知識や経験に乏しい(子供の)ころは、外部(環境)を観察することで生きる術を学んでゆく。

子供の吸収の速さを乾いたスポンジに例えるけど、浸透圧的にいろいろなものが外⇒中へと流し込まれてゆく。

大人になるにつれ、たっぷり水を含んだスポンジのようになる。

外へ注意を向けようとしても、内にあるもの(知識や経験)で自己完結する(思い込む)ようになる。

どんな好物でも、お腹一杯で、もう見るのも嫌な感じ。

ただ、これまでに得たものは、正しいかも知れないし、間違っているかも知れない。

水を絞り切って、新しいものに入れ替えないと、と考えるかも知れない。

ただ、入れ替えたものも、正しいとは同じように言えない。

そもそも、知識や経験や考え方というものは、立場や状況によって様々ある。

限定された状況でものを見たって、ある時は正しくても、ある時には間違いということもある。

全てを経験し、知ることなんか出来ないし、そこに答えを求めようとしても、同じことの繰り返し。

海の水をスポンジで吸収しようとするようなもの。

むしろ、主は海の方であって、スポンジじゃない。

海に浮かんだスポンジのように、普段は空気の存在を意識しないように。

たっぷりあるのにないと言う。