消すんじゃなくて向き合って見抜く

思考

よく実践が大事と聞くけど、実践という言葉はそれを使う側、聞く側、夫々にいろいろな意味合いで使われている。

座るだけ、瞑想するだけ、で全てが解決することはないし、いろいろな知識を詰め込むだけでも片手落ちな気がする。

何れにせよ、やるからには何かしら目的があってやっているはず。

実践だけで目的が達せられるかということ。

あるいは知識だけで達せられるかということ。

多くはその二つの間を行ったり来たりしながら、試行錯誤しながら、段々と煮詰まって行く。

ただ、目的を「悩ましい今の状況から抜け出す」としたとき、只管実践を重ねたからと言って、悩みの元が消え去り、自然と全てがうまく回り始めるということはない(軽くなるとは思うけど)。

気にしなくても良いことを気にしているだけであれば、「私の中」で解決すれば良いだけ。

ただ、多くは人間関係であったり、社会的な立場であったり、他との関係性の中での悩みであって、「私の中」だけで解決出来れば万事OKということは少ない。

それに対して、その問題に対して、私が真正面から向き合うことが出来るかどうか。

向き合うことは苦痛を伴うことも多いが、これしかない。

見たくもないことに対して、どのように向き合えば良いか、なぜそれを不快と思うのか、自分の置かれている境遇をどのように理解し、納得すればよいか、只管自問自答。

いろんな実践を積んでみても、そこと向き合うことなしでは、いつまでも心の中にしこりが残ったまま。

そこに向き合うことなしでの実践のみでは、一時期的に改善されることはあるけれど、暫くしたらまた同じ悩みや問いが頭に擡げてくる。

一足飛びに解消することがあっても、それで周りの状況が変化することはない。

周りは変わらない。

私の見方、見え方が変わる。

変わることによって、問題ではなくなる。

結局やるのは本人しかいない。

代わりにやってくれる人はいない。

ある手順を踏めば、ある方法によれば、それをやらずに済むというようなことはない。

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