「あるがまま」の理解まで、あとどれ位の努力が必要で、今どこまで近づいているのか

思考

「あるがままのもの」を捉えるには、明晰な思考、俊敏な精神、全身の注意力が必要という。

なぜかと言えば、「あるがままのもの」は絶えず変化し続けているから。

あるがままなのに、、とても捉えきれない(くらい早く変化する)・・、とは何となく矛盾している。

”あるがまま”のはずなのに、”ただある”だけのはずなのに。。

そんなにしょちゅう変わるの、と・・。

しかも、迅速にそれを追っていくため、いかなる教義や信念や行動様式などに拘束されてはならない。

重荷になったり、単なるパターンになってしまうから。

「理想の私」や「あるべき状態」など、「何か別のもの」を追い求めることになるから。

そのような、追い求める行為自体が、「あるがままのもの」を発見すること、それに気付くこと、そこに留まり、そこから直接に行動することを妨げとなる。

何かに向かって努力すること自体、「あるがままのもの」から回避していることになるとは・・。

では、どれ程に明晰で、俊敏で、どれ位の注意力が必要なのか、と思う。

「あるがままのもの」は、どれ位のスピードで、度合いで、変化をし続けているものなのか。

また、あと、どれ位の努力が必要で、どこまで近づいているのか、どこまで掘り続けてゆけば良いのか。

ミリか、マイクロか、ナノなのか。

そもそも私という定規の大きさ(精度)自体、主観的だし、(それではかれるのかすら)分からない。

そして、そんなもの分かるはずないから、また悩ましくなる。

絶対的な基準があれば分かり易いけど、そんなものもない(基準自体が概念だから)。

他人の心なんか決して分からないし、言うことを聞いているだけでは分からない。

探そう、なろう、という「何か」に向かってゆく行為では分からない。

器や秤などではかれるものではなく、底抜け、そもそも基準や概念、常識などの基準、尺度では得られない。

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