「今」と「ここ」と「あるがまま」について

悟り(PNSE、継続的非記号体験)

空間認知を行うことで、私と相対する対象との間にある関係(位置、方向、距離)を作り出す。

空間認知は脳機能(脳内GPS)によるが、要は、脳内に”世界地図”を記録(記憶)し、”今ある感覚( 今いる場所)”を相対的に紐づけ、認識している。

位置を知ることは、記憶を参照することだから、二次元に描写された写真やTV画面の画(映)像を見て、立体的な構造を把握することも出来る(奥行を感じる)。

場所細胞(Place cell)  ※外部リンク

知識や経験が増えるほど、”世界地図”のピースが増えてゆく。

※赤ん坊や小さな子供(ネコなんかも)は、時間や空間に関する記録が十分ではないから、”TVの裏側”には ”映像の世界”が拡がっていると感じる

同時に私は、私が獲得した知識や経験の範囲内で、”この世界の枠組み”を作り出し、自らもその”限定的な(思考の)世界”に閉じ込もる。

そして、(思考は)それしか知覚し得ない。

私(思考)は、過去の記憶や(今している)経験を通してしか、私が”存在している”ことを知ることが出来ない。

参照するものがなければ”ここ”はない(生まれたばかりの赤ん坊のように)。

そして、空間的な認識の中で、位置情報の違いは動きを連想させる。

動きは時間の経過を感じ(生じ)させる。

※時間と空間は密接な、と言うか表裏一体の関係にある

なぜ、動きが時間を感じさせるのか。

理由は同じく記憶を参照しているから。

私には過去、「”ここ”から”あそこ”まで移動した」という記憶がある。

そして、それを参照すると同時に、移動には「”これ位の時間がかかった”」という記憶も想起される。

また、別の視点で見ると、”同じ大きさ”でも、距離が異なれば”見た目の大きさ”が変化することを「経験上」知っている。

例えば、私が「写真」を見た時、そこには何ら「距離」や「時間」に関する情報は含まれていない。

私は、それぞれの被写体の見た目の大きさの違いから、(相対的に)連想される大まかな距離、そこから想起される時間的な感覚、等々を”意味”として写像(イメージ)に付加する。

私(思考)がそれらに意味付与し、関係性を紐づけ、統合する。

過去の記憶(知識)や経験を参照することで、私が全て作り出している。

全ての事象は一瞬一瞬が新鮮で、真新しく、変滅しながら、連綿とただ移ろい変化し続けているだけ。

そして、あらゆる事象は前後裁断している。

”あるがままのもの”そのものに、空間(的な広がり)や時間(的な流れ)や意味は含まれてはいない。

思考が過去を参照し、紐づけ、意味を後付けしている。

そして、それら一連の作業は、思考を介することなく、思考が気が付くよりも早く、無意識のうちに、自動的になされている。