真っすぐ見る、直の認識とはどういうことか

悟り(PNSE、継続的非記号体験)

真っすぐ、直にモノを見る(認識する)ことが出来る人は多くない。

理解しようとするから。

モノを直に見れない人は、探す前から、何か答えの様なものを想定したり(きっとこうだろう)、期待したり(こうであって欲しい)している。

そして、探している様で、実は、自らが用意した答えに向かっているだけ。

なぜ、その様にしてしまうのか?

一つは脳の構造のため。

たとえば、脳は写真の感光版(湿・乾板)のようなもの。

私は、この世に生を受けたその時から、ゆっくりと時間をかけ、いろいろな知識や経験を記憶(記録)してゆく。

私が見た(経験した)世界と(想定的に)対応する構造を、文字通り、物理的に脳内に作り(創り)出す。

多くの人はモノを見る時、真実をありのままに見ているのではなく、実はこの、自らが作り(創り)だした、虚構(脳内)の世界の方を見ている。

視覚を通してモノを見る、というより、むしろ意識が思考を見ている。

自らが作り(創り)出した、虚構の世界を見たり、辞書(知識)を参照して解釈(意味付与)する。

脳にとって効率が良いから。

既に理解しているから、わざわざ新しくエネルギーを割いて、ああだ、こうだと解釈するより、既にある答えを参照した方が、エコだし、早いから。

すばやく判断できれば、生き延びる確率が高まる(生物としての本(機)能)。

熱いものに触れたら反射的に手を引っ込めるように、思考もただの(生きるための)自動反応に過ぎない。

直の認識とは、この虚構の世界を見るのではなく、思考と言うフィルターを介して解釈するのではなく、直に、見たまんま認識するということ。

初めて見たように見る。

初めて見る景色ではなく、見ること自体が初めて、ということ。

生まれて初めて目を開いた時の様に。

真っすぐに見ていないということが、本当の意味で分かった時、真っすぐ見れる。

それが分からなければ、何が悪いのか、何処が間違っているのか、どこをどう正せば良いのか、そもそも分からない。

思考の中で、虚構の世界で、グルグルしているだけ。

本来であれば、見れば直で認識に繋がる。

多くの人は、思考と言うバイパスされた経路を辿って迂回する。

「見る⇒思考⇒認識」ではなく「見る⇒認識」が真っすぐに見るということ。

生まれた瞬間から、知識や経験などの記憶(記録)が増えれば増えるほど、このバイパス(迂回路)は太く、強固に、首都高の様に複雑な根を張り巡らせる。

配送システムのベルトコンベアや、郵便局の仕分け機の様に、定まったパターン、意味の世界へ閉じ込められる。

認識まで、一直線で、最短のルートがある。

この複雑に入り混じった、思考の回路を、解きほぐして、直に認識へ繋げてあげる。

直接に繋がればそれで終わり。

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