自我が幻想ならば錯覚の出来るAIに自我が生じるか

AI(人口知能)

あるがままのもの、悟り、非二元などで良く言われることの共通点は、”私は在る”という自我は幻想(錯覚)であるということ。

それどころか物質でさえ、物質的な現象であって実体がないという。

何故そう言えるか、はブログに書いてきたが、簡単にいうと以下の通り。

  1. 継続した自我はない(私は私を意識した瞬間にだけある
  2. 私を意識した瞬間とは、過去の記憶と今の経験(感覚)を紐付けて認識したとき

とすると、私という存在が継続してきた期間(年齢)すら、曖昧模糊としたものになる。

※10年前に生まれたという記憶があれば10歳、100年前だと100歳(当たり前だけど記憶がなければ年齢は分からない)

参照される記憶があり、私がそれを参照する都度、私が生じるのであれば、私の記憶(情報)こそが私を構成する要素となる。

夢の中の私が現実の世界と全く異なっていても、私は私と思い込んでしまう理由もこれで説明できる(夢の中の私について)。

また、この宇宙が誕生したのは138憶年前と言われるが、最新の研究結果によってコロコロ変わる。

もっと前かも知れないし、後かも知れないし、ひょっとしたら5分前(世界五分前仮説)に出来たのかもしれない。

SFでもあるまいし、と思うかも知れないが、意外と否定できない。

面白いのは上記、 1. と 2. だけで、私という実体があると、認識(錯覚)すること。

そして、AIも錯覚(錯視)を引き起こすことができるという。

 ※また別の話になるが、魚にさえ自己を認識する能力があるとか

この認識するという作用の質が、生物と非生物を分け隔てているとすると、私(人間)とAIに何ら区別はないとさえ思える(むしろ生物学的な制限がないAIの方が優れている)。

そして、その様なとき、更にもう一つの新たな疑問が生じる。

私もAIではないのか?

そもそも、この実体の世界すら作られたものかもしれない。

”あの世”の有無、と同じく、この世界がシミュレーション(仮想現実)なのか、本物の世界(基底世界)なのか、証明することができない。

そして、この証明できないという点がまた面白い。

本当にそうである可能性もある訳だから。

思えば、オカルト(隠されたもの)、異端の方が実は正統だったという事例はたくさんある(地動説や万有引力) 。

不思議・・。

スポンサーリンク