なぜ何もないのではなく、何かがあるのか

悟り(PNSE、継続的非記号体験)

私が見ていないとき、月は変わらずそこに在るのか。

見ていないとき、実はそこには無いのか。

たとえ見ていなくても、見上げたらそこにあると知っている。

仮に、月が地球の周回軌道ではなく、星間空間を漂う未知の天体だとしたら。

それが確かに存在していたとしても、知らなければ存在していないと同じ。

主体が認識できなければ、客体は存在しているとも、していないともいえる(観察者効果ではないけれど)。

宇宙の果てには何か在るかもしれないが、それを知り得ないものにとって無いに等しい。

もしかしたら、そんなもの本当にないかも知れない 。

同じ対象であっても、観察者が異なれば、異なる見え方をする。

ここから見える形と、あそこから見える形は異なる。

同じ世界に生きていても、異なるパースペクティブから見る世界は異なっている。

それぞれが異なる世界を生きている。

観察者と同じ数だけ、異なる世界が存在する。

他人と全く同じパースペクティブから、同じ世界を感じることは絶対に出来ない。

その人の世界があるのは、その人が生きているから。

生きていなければ、空気の振動が鼓膜を揺らしても、音は存在しない(月の話とは逆)。

二つで一つだから。

オンラインゲームの世界

2018年8月28日

月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ

法然上人