「私」の目的とは何か?

思考

突き詰めると、生きるため。

「生きる」という目的、そこへ向かう過程に対して、私は意思の存在を感じる。

ここまでくると、「本能」と言った方が近い。

あらゆる生命は、「生きる」という衝動に突き動かされている。

衝動は、どこからともなく、抗いようもなく、湧き上がってくる(生きてる限り)。

そして、そこから更に細かく、単純なもの、複雑なもの、(大小)様々な目的が派生し生じてくる(生きるために)。

同時に、それら(目的)に応じた欲も生じる。

あらゆる欲求は、より上手に「生きる」ための、必要な動機付け(燃料)として存在する(生きるために必要)。

そして、それらを解決する(満たす)ための、方法や手段は、生物種や個体(能力)毎に異なる。

蜘蛛は教わりもしないのに巣の張り方を知っている。

鳥は教わりもしないのに、飛び方を知っている。

人は教わりもしないのに、複雑な思考の使い方を知っている。

何れも、ただ「生きる」ためにそうしている。

クモは教わりもしないのに巣のはり方を知っている

2018年12月1日

思考は、生から独立した、何か特別で、理解不能な、得体の知れない、神秘的なモノでも何でもない。

あらゆる生命に共通して存在する、ただ「生きる」という衝動から、連なって始まっている、一連の反応の連鎖(の結果)に過ぎない。

ただの「生きる」ための(人という種が発明した)手段に過ぎない。

それを魂(意思)と言うのであれば、あらゆる生命に魂は宿っているし、意思は生じている。

ところで、「機械と生命の違い」「意思(魂)の有無」、「それらが生じる(感じる)理由(本記事)」ときて、結論らしいものは「生きてるから」では、ただの循環論に過ぎない。

所謂、宗教(悟り)、非二元、スピリチュアル等々に対して、矛盾や胡散臭さを感じる理由は、結局はただの循環論やアポリア(あると同時にないとか)に陥っているから。

それらしく言ったり、書いたりしていても、結論は何もない(示されるのは個人体験のみ)。

いろいろな宗教や人物や書籍が、様々なやり方や言い方で、表現したり、述べているモノとは結局何なのか?

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