なぜクオリアを感じるのか

悟り(PNSE、継続的非記号体験)

敵や獲物との距離を測る。

対象の危険(の有無)を判断するため、色を識別する(対象の実や獲物に毒があるか)。

色は奥行を見るためにも使う(白黒で濃淡もないと形や奥行が分からない)。

生きる(判断する)ためには、分(区)別しなければならない。

分(区)別するためには、”違い”が解る(認識する)必要がある。

生物は“違い”を見るため、クオリアを創造する(モノサシの様に使う)。

対象の種類や違いに応じ、様々なクオリアがある。

種によって創造できるクオリアは異なる(生きるために必要なクオリアは異なる)。

(ちなみに同じ種でも、観測者が違いを認識出来れば良いだけなので、逆転クオリアが起きてもそれ自体に何ら問題はない)

対象までの距離(長さ)や大きさなどの“違い”を見るため表象(形)を創り出す。

光の波長の“違い”を見るために色を創り出す。

(形や色などの)クオリアを創造し、 対象の”違い”を思考が認識し、分(区)別し、意味を与える。

厳密には対象(イデア)を直接に経験することは出来ないので、思考が対象(イデア)を扱える様にクオリアへ変換(翻訳)している(言語ではないが言語と似たような役割を持っている)。

私たちが認識している世界は、私が認識出来るように、全て私が創造した(イデアを加工・翻訳しクオリアで創った)世界であって、ある意味ただの幻想とも、ある意味この世界自体が私であるとも言える。

(大げさに聞こえるかも知れないが、例えば”夢の世界”は全て私が創造している。)

この(限られた)認識の世界では、既に在る世界を、私が外側から対象として眺めているのではなく、私自らが創り出した世界を、自らがその中から、ただ解釈(結果を観測)しているだけに過ぎない。

機械は映像や音声を記録出来るが、世界を創造することは出来ない。

意識は創造された認識(虚構)の世界の中だけに宿る。

ある意味偽りとして創造された世界の中の作られた自己。

認識の世界は生物が創り出している世界。

生き物の数だけ世界がある(創られている)。

生物だけがなぜ世界を創り出すことが出来るのか?

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