対象を知ることは出来るか?

悟り(PNSE、継続的非記号体験)

認識(狭義)の世界は、全体から見るとその一部(一つ)に過ぎない。

その限定された世界を、普遍的(唯物的)で、絶対的なモノ(物質世界)として、他者と共有していると感じている。

私は対象の本質に触れたり、知ることは出来ない。

月が「黄色い」と言うとき、それは私の見方であって、月“そのもの”が黄色い訳ではない。

太陽や月の本当の色は何ですか?

私たちは感覚の世界に慣れ過ぎていて、私の“感じ方 ”が実在だと思っている。

私が認識している世界は、私が“そう感じている”世界であって、実在の一部を切り取って、見たい(見れる)ように見ている(というか創っている)。

それ自体の本質、イデア(それであるところのそのもの)と、私の”感じ方”は全く別のもの。

観測者の数だけ、それぞれの見方、それぞれの世界が生じる 。

そして、それ自体(イデア)が単独で在るとき、物質として存在しなければならない理由はない。

物質として“在る”と感じるのは、私の”感じ方 ”がそうだから(概念とも言える)。

物質という現象が “起こる”だけで良い訳で、ただの情報処理の結果として、それぞれの相関(因果)関係が、絶えず変化し続け(合い)、新たな関係(状態)が生じ続けていると言うことだけ(諸行無常)。

ゲームの世界で画面に表れない部分の計算が省略される様に、観察者がいなければ関係性は生じていない(空性)。

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