探求という行為の良いところ悪いところ②
そして、「私」が嫌なこと、したくないこと、苦しいこと 、から逃れるために、探求にのめり込んでしまうこともある。 そのような場合、実はその動機(逃れたい)を果たすことが目的となっていることが多い。 それが悪いことだ、と言い…
そして、「私」が嫌なこと、したくないこと、苦しいこと 、から逃れるために、探求にのめり込んでしまうこともある。 そのような場合、実はその動機(逃れたい)を果たすことが目的となっていることが多い。 それが悪いことだ、と言い…
好きなことを見たり、聞いたり、したりすることは楽しい。 それに没頭しているとき、文字通り、自分の存在や時が経つのも忘れるくらい。 この対象と一体化した感覚を、私がいない、無我、迷いのない、ワンネス、等々の境地と言えば、そ…
決着しても、していなくても、特に大きな変化はない。 であれば、今のままで何ら問題はない、とも言える。 でも、どこか異なっているはず。 二つの違いを、知っている、知っていない、ことの違いとする。 例えば、二つのワイン入りグ…
真っすぐ、直にモノを見る(認識する)ことが出来る人は多くない。 理解しようとするから。 モノを直に見れない人は、探す前から、何か答えの様なものを想定したり(きっとこうだろう)、期待したり(こうであって欲しい)している。 …
空間認知を行うことで、私と私と相対する対象との間にある関係(位置、方向、距離)を作り出す。 空間認知は脳機能(脳内GPS)によるが、要は、脳内に”世界地図”を記録(記憶)し、”今ある感覚( 今いる場所)”を相対的に紐づけ…
私は「こう」思う。 正しいと思うけど、確証が持てない。 本やインターネットで、様々な人の話を聞いたり、知識を得たり、新たな洞察を得たり、今はいろいろな方法で論理を補うことが出来る。 「そこ」に至るためのヒントや道標は沢山…
「今この瞬間」を意識して捉えようとしても不可能なのであって、理由は「今」という時間はそもそも意識(思考)が作り出しているから。 「あるがまま」に見ると言う行為も、意識に上った瞬間、対象には既に(思考による)注釈が付け加え…
注意の向く先が内か外か、と言えば、知識や経験の多寡による。 子供の頃は外に向かって注意を向けやすい(内が乏しいから)。 知識や経験に乏しい(子供の)ころは、外部(環境)を観察することで生きる術を学んでゆく。 子供の吸収の…
自我とは私を対象とする認識作用。 ところで、認識の対象となり得るものには、どんなものがあるか。 物質や概念など、私(自我)以外にも、あらゆる事物が認識の対象になる。 例えば、目の前のリンゴ(物質)を見た時、私は「リンゴが…
学校に行きたくない、会社にいきたくない。 義務はやりたいことではない。 好きなことだけをやっていたい。 金持ちになりたい。 働かなくても食っていけるようになりたい。 そうではない現実、それは嫌だから、苦だから、別の解決手…
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