時間はないというが、どう考えたってあるとしか思えないのはなぜか?
時間なんてないし流れてもいない、と時間はあるし流れている、というケースも同じ。 流れていると感じるのは、思考が想起する度、今ある記憶(知識)を時系列に並べ替えている。 ※マンガやゲーム(小説や映画)などで時間が流れている…
時間なんてないし流れてもいない、と時間はあるし流れている、というケースも同じ。 流れていると感じるのは、思考が想起する度、今ある記憶(知識)を時系列に並べ替えている。 ※マンガやゲーム(小説や映画)などで時間が流れている…
今にとどまる、今にとどまらなきゃ、と(思考が)言うときの「今」と、いわゆる「今」とは全くのべつもの(う~ん、何というか・・)。 一番それらしい表現として使っているだけ。 思考や会話で使われる、あるがままを表す「今」には、…
今日の延長線上に明日があるとは限らない。 一瞬一瞬を大切に。 積み上げてゆけば素晴らしいことが沢山まってる。
し、残りの人生の中で一番若い。
時間や行為は「私」が生じた後、後付けで意味を付加したもの。 時間とは、あの時から今まで、いつからいつまでと、対象となる期間を切り出し意味付与したもの。 時間の質や長さは一定ですらない。 「今」とは、この瞬間を言うこともあ…
よく禅寺などにある丸窓に映る風景。 写真のように景色を切り取って、2次元に見える。
1メートルの長さ、1キロの距離。 ここからあそこまで、ルールで定めた長さや距離をそう呼んでいるだけ。 1メートル、1キロという実在があるわけではない。 距離が1キロ「ある」という言葉が、何かが実在しているような錯覚を生む…
「私」や「時間」が生じる時、これ(世界五分前仮説)と似たようなことを「思考」が行ってる。 私は5分前に誕生したのかもしれない。 所詮後付け、なんぼでも言える。 「私」五分前仮説。
見た瞬間、「ここ」から「あそこ」まで距離を感じる。 距離は、経験的に時間を感じさせる。 思考は「ここ」に留まれなくなる。 思考が動き出す前、距離や時間はない。 絵や写真と同じ。 奥行ない。
AとBということがらがある。 二つは同じことがら。 意識が順番をつけた瞬間(Aの後、Bが生じた)、思考が時間を作り出す。 ただの想念。
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